賀川豊彦は明治21年神戸に生まれ、5歳の時に早くも両親と死別。明治37年に宣教師H.Wマヤス博士より洗礼を受け、その後、神戸新川のスラムに身を投じ、貧しい人々の救済に青年時代を費やしました。さらに労働組合運動、農民運動、協同組合運動、無産政党樹立運動に献身し、関東大震災に際しては罹災者救済やセツルメント事業に尽力しています。生涯を通じて日本、そして世界にキリスト教の伝導を行い、戦後は世界連邦運動を提唱、指導しました。これらの活動の間に書き留められた宗教、哲学、経済、社会、文明に関する論文、随筆、小説が賀川豊彦全集24巻として残されています。「死線を越えて」は彼の代表的な小説の一つである。彼の事業及び活動は、関西、関東をはじめ日本全国に及び、各地の数多くの同士たちの組織的活動により、広汎な規模と影響力を持って展開されました。終戦時には日本基督教団戦時救済委員会委員長として戦災者の救援にあたり、東久邇内閣の参与となり、翌年には食糧対策審議会委員等で戦後の日本の復興に取り組んだ。戦後は世界各国において海外伝導を通じて常に世界平和を唱え、1955年ノーベル平和賞候補にも挙げられた。いつの時代でも、弱者や貧しい人々に目を向けかつ救済を実行した偉大なる真の平和主義者であった。
賀川豊彦の事業活動および著作に関する膨大な資料文献、原稿が日本近代史の貴重な資料であることを思い、それらを収集、整理保存して一般に公開、調査研究に資する目的をもって多くの人々の献金、寄付金により1982年10月に資料館を開館。この資料館の中にある記念礼拝堂は賀川自身が設立した松澤教会を移築、再修復したもので礼拝堂内部の壁や柱、椅子等にいたるまで、当時の物を使用した貴重な文化財でもあります。ノエルでは、資料館のご協力を得てこの礼拝堂での挙式プランを実現いたしました。結婚式を目的に建てられたウェディングチャペルとは異なり、この貴重な礼拝堂での挙式は、お二人にとって大変意義のあるものになると固く信じております。     
最近、セント・・教会、・・チャペルといったブライダルチャペル(結婚式ビジネスのために建てられ教会のかたちをした挙式スペース)が増えています。これらのチャペルは商業目的のために建てられたゆえに、経営状況の変化に伴って建て壊されてしまう施設が多いのが現状です。実際、私どもは残念な現実を多く目撃しております。この貴重な礼拝堂での挙式はお二人にとって意義があると同時に、この礼拝堂は文化財として今後半永久的に保存されていきます。数年後、お二人で訪ねられたり、また、お子さんが出来たらご一緒に訪れたりされるのもよろしいかと思います。   
挙式のお申込について
挙式のお申込については随時受付しておりますのでノエルまでご連絡下さい。詳しい資料差し上げます。